昭和45年12月17日 夜の御理解
ちょうど、北野の堤さん達が、親子4人でお礼に出てまいりました。自分達夫婦があの結婚、今日がちょうど10年にあたる。そいから、子供があのこの頃から出来ておりましたのが、ちょうど、あれは何ちですか?あの、日ばれ、ま、お宮参りですね。普通で言うなら。丁度それが、今日の今日にあったておりましたから、そのことと、この事のためのお祝いのいわゆるお赤飯でも炊いたり、いろいろお供えを持ってね、おばあちゃんと親子4人で、だからお礼にに出て来ました。
その事で私神様にお礼を申させて頂いておりましたら、もう見事なこう二見が浦のね、私二見が浦というのを見た事行った事も、写真で見るだけですけども、二見が浦この注連縄がね張ってある所を頂くんですよ。そしてあの小さい方が、あれがまぁ女岩でしょうかね。あれがずうっとこう後ひざりするとこを頂くんですよね。だから是がこう後ひざりするもんじゃけん、注連縄がプツーと切れる所を頂いた。
だから私はその事を、本当にあのう皆さん、あの皆んな親子4人を聞かせて頂いたんですけれどあのう嫁は、てるよさんっち言いますもん。だから今度子供が生まれたのも、あのその、てる代のテルを漢字で頂いてね、てるが生まれると照生と頂いておるんですよ。それであのう、是はお母さんが信心が出来る様にという、意味も含めてあった事と思うんですけれどね、あのうあんた達の夫婦の信心がね、こうやってなら後いざりせんごとっさい、しめて言う事は一切の例えば不浄穢れを払うと言う様なね。
いうなら病気災難を払うと言う様な、意味合いのものだと。それが例えばなら、てる代さんの信心が後いざりする事になると言う事は、是はしめが切れる事になる。切れれば、そこからおかげがもれる事になるから、まぁしっかり信心してくれんの。いっちょどうでんこうでんあんただんが夫婦で、親の健康を願いなさい。婆シャンの健康ば願いなさい。大体婆シャンがああして、あの大体弱いですもんね。
あそこはそれであんたどんがまぁだ一遍でんあの、婆シャンの事ばお願いした事が無かろうがのとしっかり願わんの。あんたこりゃもう子供も3人もでけて、皆んな悪そばかりでてみるとばかりじゃろうがっち。婆さんが元気でありゃやっぱっり(?おんなし婆さん守りして貰うけん?)例えば家の母が言いよりましたっち。五十枝家内にね、もう五十枝さんもう私が達者な内にしっかり産んどかんの」っち言いよりましたがね。
それが、ばばシャンが強かったから、それが言えたんだ。それこそ、ひいたり、おしたり、乳母車に乗せたりでしたよ。私とこ。だから、ほんとにあのう、そしたら嫁ごがですね。「ほんなこっですのう」っち、言うとですもん。ほんなこというて、その、ばばシャン妙な顔しよんなさるですもん。「自分は子供ん守するために、この人どんは願うじゃろうか」っちいうもんが。
ま、けれどもそれでもいいって、私は思うたですね。ばばシャンに強してもりゃ、子供と、子供をこう、引き上げてもらうと、そっすと、それだけの御用がでけるから、ばばシャンのほうもそれで元気でおかげいただかっしゃる。自分達も、ほんというて、そりけんいっちょ、もう、どうでんこうでんね、だからこん子供のこと願うよりか、ばばシャンのことを願わんの。っち私はこう申しました。
それが、うんならあんたと、きよしさんと、いわゆる夫婦のものの信心がね、揃うていくことじゃなかじゃろかの、っちいうてから、まぁ話した事ですけれどもね。これはまぁ本にウソごとじゃなかろうと思います。やっぱり信心がたろうていかにゃいけませんね。せっかくのこうやってですね、夫婦、夫婦岩の注連縄がこうやって張っちゃるとに、かたいっぽがひがったらなるほど切れますよ。ね。
そこから、たとえば、ま風が、あのおかげが、おかげが漏れて、ま風が入るとおっしゃるのですからね。たとえば、紙が破れる、信心が破れるということは、そこからおかげがもるだけではない、そこから、ま風が入ってくる。私は今日丁度九時の、こうしてここに座らせていただいたら、私にぜひ会いたいという人が着ておりましてね。それで私奉仕着つけんなりそこでお取次ぎさせて頂よったばってん、あまりにも話が深刻ですから、まとうとう紋付袴を着けてから、ここに座ってから。
お取次ぎさせて頂いたんですけれども、もうそりゃほんとうに、どがしこ金があったちゃ、どがしこどげな金銀玉露のごたうちに住んどっちゃ、そげな苦しみがあるならば、もう金もいらん、家もいらんちゅうごとあるの。っちいうて話しました。だからね、あんたひとりでもよいけん、たとえば、あの何十年前、椛目の時代に、一家をあげてあれだけの信心をして、あげなおかげを受けたっちゃたちゃから、だから、今のその難儀な問題に、今お願いきよっですもん、うちからやっっぱ。
そればってんか、そのただお願いだけですけん。せめてあんただけなっとん、「昔の私の信心をあんたよう、知っとろうが」ってだからね、今月はとりわけお礼のために精進する。という月なのだから、本当にあんたがたん、これ里に当たりますから、里んこつを、一つ思うてみてから、とてもとてもほんなこて考えてみると、おかげ頂いてから、ああいう金銀玉露のお家にも住んでおる、事業も発展しておる。商売も繁盛しておるばってん、さあそげなもんなもういらんっちいう、みんなが。
ほんとにとにかくそこの嫁ごどんですね、もう金が恨めしいち言うたそうです。ね、金がある事が恨めしいっち。ね、だからどうでもひとつあんたが、あのう本気になってね、そんなら20年前なら20年前の事をずうっと思うてみて、ほんとにあげなん家に入られたのも、あげん事業が発展しよるのも、本当にもともとをいやぁ、親先生があげん仰って、あげなお取次ぎを頂いて、あそこからあのおかげが始まっとるとと思うたらね、あたしが言うっととろうがっち、あんたげんおかげは水脹ればいっち。
だからちょいと突付きゃピシャーっちなってしまうとよっち、私が言いよった。それがやっぱ膨れたが膨れたばってん、ね、さあどっこいその難儀が苦しいごと。どんこんこんこん。どんこんこんこんされん。そんためにさあ親戚中が引き回される。こんどそこ一軒だけではない、兄弟、おじさん、おばさんどんまで、ね、しかもその一人一人が、もうほんなこて、自分が腹切らにゃんっちいうごたふうな、立場にたっとるです。みんなが。その苦しみの中に巻き込まれてから、ね。
だからそのことの願いもさることながら、しっかりお礼を申し上げんのっち。さあこれがにあっだけ一家中あげて、信心しよたっつが、こうやってずれたけんで、注連縄が切れとるようなもんじゃないでしょうか?ね、そこからおかげが漏ってきた。そげなはずじゃなか。どげん考えても、そげなこっ起こってくるはずじゃない家なんですよ。それが、そういうことが起こってくる。ね。
だからおかげが漏ってる。おかげが漏るだけなら良かったばってん、そっからま風がはいる。さあ、そん真風で今は、こんど親戚中のものが分断にさせられた。ね。もう本当に私その話を聞かせていただいて、本当に深刻ね、ちゅたことでした。うん。どうでもひとつ信心しておかげを頂いてですね、ひとつ、それは自分の、利益のためでもいい。自分の都合の良い事のためでも好いけん、信心だけは緩むごとせにゃん。
ばばシャンのことを願やー、ばばシャンがつよあってもらやー、孫達を引き上げてもらうけん、ばばさんのことを願うでんよいてね。ね、そしたら、ばばさんがあまりうれしなかごた顔しよんなさったばってん、そりゃ、孫ん守しよるがいいですよ。痛い痒い言うとるよりかですね。ばばさんとしては。そこから信心をこう引き立てて下さろうとする働きがあることをね、感じましたね。
どうぞ。